小値賀の暮らしを支える、バスのハンドル

Profile
中村 光(なかむら ひかる)さん
小値賀町斑島生まれ。幼稚園の頃に笛吹へ移り、小値賀で学生時代を過ごす。高校卒業後は愛知県のトヨタ自動車に就職し、退職後は愛知県や佐世保市でさまざまな仕事を経験。35歳の時、小値賀交通の運転手募集をきっかけに大型二種免許を取得し、17年ぶりに故郷へ戻る。現在は路線バスと移送サービスの運転手として、島民の日々の移動を支えている。休日は釣りや愛猫との時間を楽しみ、ゴルフ場近くの海岸から眺める夕暮れの海や、小値賀ならではの方言に魅力を感じながら暮らしている。
Contents
遠回りの末にたどり着いた故郷

小値賀の高校を卒業した時、中村光さんの胸に「これになりたい」という明確な夢はなかった。「先生に勧められたから」という理由で選んだ愛知県のトヨタ自動車。待っていたのは、想像以上に過酷な労働の日々だった。
「給料は良かったけど、きつかったですね」
5〜6年勤めて退職した後は、愛知と佐世保を行き来する、本人曰く「ふわふわとした」時期を過ごした。佐世保では若さゆえの失敗で借金を背負い、それを返すために再び愛知の派遣工場へ。そんな彷徨の季節に終わりを告げたのは、30歳を過ぎた頃に芽生えた、ある自覚だった。
「30すぎぐらいからですかね、長男だから、あ、これはブラブラしててもいかんな、という感じになったのは」
家族から帰ってくるように言われたわけではない。自分自身で考え、帰郷を決めた。そして35歳の時、小値賀交通の運転手募集をきっかけに大型二種免許を取得し、17年ぶりに故郷へ戻ってきた。
現在の仕事も、もともと運転が好きだったから選んだわけではない。募集があったことがきっかけだったという。
「たまたま募集してたからですね。タイミングです」
振り返れば、仕事も帰郷も、何か大きな夢を追いかけて決めたものではなかった。目の前の機会をきっかけに進んできた中村さん。その歩みの先に、今の暮らしがある。
島の暮らしを支える日々
現在、中村さんの主戦場は島を走る路線バスと予約制の移送サービスだ。乗客の約7割は斑島方面の利用者で、高齢者や車を持たない人にとって、欠かせない移動手段となっている。
実際に運転手として島を走るようになり、中村さんが改めて感じたのは、高齢者の多さと、地域の変化だった。
「高校生の頃はそんなに注意して見ていなかったですけど、改めて見ると、お年寄りが多いなという印象はありましたね」
島の人口は、中村さんが高校を卒業する頃には約4,500人いたと記憶している。現在は約2,000人となり、かつてと比べて大きく減少した。
「これが20年後、30年後、1,000人とかになったらどうなんでしょうか。小値賀交通も仕事量的になくなるかもしれないですし、自動運転が普及して、もうバスはいらないよと言われるかもしれない。そこら辺が不安材料ですかね」
日々の仕事を続ける一方で、島の将来や交通のあり方にも思いを巡らせている。
中村さんが今の仕事で特に大変だと感じているのは、予約の電話対応だという。
移送サービスでは、予約の電話が運転中のスマートフォンに転送されてくる。利用者の予約を受けながら運行を調整する必要があり、電話対応が大きな負担になっている。
「電話対応が一番大変ですね。もうちょっと楽になるんじゃないでしょうか」
予約アプリなどを導入できれば、業務を効率化できる可能性もある。しかし、開発には数百万円規模の費用がかかることもあり、費用対効果は慎重に考えなければならない。さらに、利用する高齢者が実際に操作できるのかという課題もある。
便利な仕組みを取り入れるだけでは解決できない、島ならではの難しさ。利用する人々の暮らしに合った方法を考えていくことが求められている。
いつか登りたい日本一の山

休日の楽しみは釣り。お気に入りはゴルフ場近くの海岸で、特に夕暮れ時の景色が好きだという。
「夕暮れ時が一番好きですね。日が沈んで、斑島の方向に漁船が明かりを焚いたりしているところは好きですね」
海に浮かぶ漁船の灯りを眺める時間は、島での暮らしの楽しみのひとつだ。また、小値賀ならではの方言にも魅力を感じている。
「小値賀の方言は大好きですね。ニュアンスの伝え方とか、面白いじゃないですか」
島での暮らしは都会に比べれば娯楽は限られる。それでも、自分なりの楽しみを見つけることが島暮らしの醍醐味なのかもしれない。中村さん自身も、釣りや愛猫との時間を楽しみながら日々を過ごしている。
いつかかなえたい夢を尋ねると、少し照れくさそうに答えてくれた。
「1回、富士山に登りたいです。日本一の山に。それぐらいですね」
将来は母親の介護も必要になるだろうと考えている中村さん。遠回りを経て故郷へ戻り、今は島の人々を乗せてハンドルを握る。人口減少や交通の将来といった課題を感じながらも、休日には海へ出かけ、夕暮れの景色を楽しむ。
島の暮らしは、特別な出来事ばかりでできているわけではない。
いつもの道を走り、馴染みの人を乗せ、好きな景色を眺める。そうした日々の積み重ねが、島で暮らす人々の生活を支えている。




