島の福祉を支え、未来へ繋ぐ

Profile
松永 英和 (まつなが ひでかず)
小値賀町出身。高校卒業後、11年間農協に勤務。その後、現在の職場である社会福祉法人 値賀の里「特別養護老人ホーム 養寿園」に転職し、勤続32年。現在は施設長と理事長を兼務し、施設の経営から現場のサポートまで幅広く担う。深刻化する人材不足という課題に対し、外国人材の積極的な受け入れや短期大学との連携など、未来を見据えた新たな挑戦を続けている。
「うちに、どがんねえ?」の一言から始まった、福祉の道

小値賀町で生まれ育った松永さん。高校卒業後は、一度島を出てみたいという思いもあった。
「佐世保で働きたかったから佐世保の農協を希望したんだけど、地元の農協に。」
11年間、農協職員として勤務。そのキャリアに転機が訪れたのは、現在の職場である「養寿園」に集金で訪れた時だった。事務の女性職員から「うちに、どがんねえ?」と声をかけられたのだ。
松永さんも転職を考えていたタイミングだったので、その一言をきっかけに福祉の世界へ。
当初は「ど素人だった」と振り返るように、入浴介助など現場の仕事からキャリアをスタートさせた。下積みを経て、少しずつ施設の運営にも関わるようになり、3年前、施設長兼理事長に就任した。予期せぬ一言から始まった道は、いつしか島の福祉を支えるという大きな役割へと繋がっていた。
人材不足という課題への挑戦と、変わらぬ現場主義

現在、松永さんが最も大きな課題として捉えているのが、全国的な介護業界の人材不足だ。離島である小値賀町も例外ではない。この課題に対し、松永さんは新たな挑戦を始めている。
「最初は、やっぱり、不安はありました。その、戸惑いは十分あったんですけど…」と語るのは、外国人材の受け入れだ。五島の福江市など先進事例の視察を経て、長崎県の事業を活用しベトナムから、また管理団体を通じてミャンマーから技能実習生を受け入れた。当初は慣れない環境に戸惑っていた彼女たちも、今では「すっかり、おじかの顔になっている」という。
施設長・理事長という立場になった今でも松永さんの原点は常に現場にある。
「ほとんど現場に来てます。なんか、現場に来ないと落ち着かないけんですね。」現場の職員が急遽休んだりしたときには、食事介助や利用者の送迎まで自ら行う。
それは、職員に繰り返し伝える「利用者に寄り添う」という姿勢を、誰よりもまず自身が実践している証でもある。「自分がされて嫌なこと、そういったことを絶対しないように。」
このシンプルな想いが、養寿園の介護の根幹を支えている。すっかり、おじかの顔になっている」という。
施設長・理事長という立場になった今でも松永さんの原点は常に現場にある。
「ほとんど現場に来てます。なんか、現場に来ないと落ち着かないけんですね。」
現場の職員が急遽休んだりしたときには、食事介助や利用者の送迎まで自ら行う。
それは、職員に繰り返し伝える「利用者に寄り添う」という姿勢を、誰よりもまず自身が実践している証でもある。「自分がされて嫌なこと、そういったことを絶対しないように。」
このシンプルな想いが、養寿園の介護の根幹を支えている。
島の未来に根を張る人と人との繋がりで、島の福祉を持続可能に

人材不足という課題に、松永さんはさらに未来を見据えた一手も打っている。長崎短期大学と連携し、介護福祉士の資格取得を目指すミャンマーからの留学生を2年後に採用する計画だ。
「2年間、学校が終わったら、こちらに来るように依頼をしてます。」
これは、単なる人材補充ではない。専門知識と資格を持った人材を地域に迎え入れ、長期的に定着してもらうための戦略的な投資だ。外国人材が安心して暮らせるよう、すでに住居の確保も進めている。
「やっぱり、小値賀という離島はハードルが高いので住居を用意したり、みんなで支えていきたい。」と、温かい眼差しで語る。
一方で、物価高騰が経営を圧迫するという厳しい現実にも直面している。町の補助金も検討されているようだが、経営的には一段と厳しさが増すと思う。将来的には施設の規模縮小も視野に入れなければならないが、それでも、松永さんの想いは揺るがない。
「利用者さんから笑顔で『ありがとう』の言葉を聞くことで頑張れる。」
仕事のやりがいは、利用者様との日々の触れ合いの中にある。介護の仕事は大変な面もあるが、「この仕事を選んでよかったなあという感動の場面もある」と松永さんは言う。
小値賀町で生まれ育ち、この島を支えてきた大先輩である利用者様たちに寄り添い、そして、未来の担い手となる新たな人材を育む。松永さんの挑戦は、この島の福祉の未来を、人と人との繋がりで温かく照らしている。
▼会社情報
▼求人募集内容